今日 自分が出来る事。
先月 親友のお父さんが亡くなりました。
10代の頃に大変お世話になったお父さんです。
親友との思い出は思い返せば返す程謎の行動が多かった気がします。
それを許してくれてた(?!)かどうかはわからないけど、
ご両親には申し訳ないのと感謝の気持ちでいっぱいです。
なんであんた達はいつもそうなの!!ってよくお母さんに叱られ、
その姿を見てお父さんは爆笑していました。
叱ってる妻(お母さん)を見て笑ってるので
なに笑ってんのよ!と最後にはお父さんが叱られていました。
私はお父さんに出会ってまもない頃から、
勇司(お父さんの名前)ともっと早く出会いたかった、
それで、もてあそばれてふられたかった。
と、今考えたら何言ってんだよって事を真剣な顔をして言ってました。
そんな勇司も私の事を好きでいてくれました(笑)
楽しかった思い出は沢山ありますが
その一つに、ゴールデンウィーク中に真夏の様に暑く晴れた日があり
急遽お父さんの飲酒運転で海に行った事がありました。
酔っているのか素なのかよくわからないお父さんの運転は正直怖かったけど、
怖がってなどいられないので面白い話をして笑っていました。
帰宅するとお母さんは心配して私達の方に駆け寄り
「事故にあったらどうするの!!!」と、激怒していました。
いつも笑って毎日が楽しかった10代ですが、
中にはどうしていいのかわからない辛い事もありました。
親友が突然恋人を亡くし、お父さんはもうかける言葉がなくなってしまい、
まりちゃん○○○(娘)の事頼むよ。と泣いていました。
親友の家は二階にも玄関があり玄関扉の横には一階部分の屋根がある造りで、
夏にはオイルを塗ってその屋根で日焼けをしたり、
深夜に小窓から出入りし、物音立てないように緊張して笑いが止まらなくなった
りした楽しかった思い出のある場所。
その屋根に二人で座って話した時の事を私はず~っと覚えています。
振り返れば当時のお父さん達は今の私達とあまり変わらない年齢で、
仕事に子育てに病気にその他諸々とても大変な頃だったはずです。
今、我が子達があの私達だったら、私の場合は手を上げずにはいられません。
面倒を見てもらったありがたい思いは永遠に消えるものではないので、
自分が出来る事を精一杯したいと思い、
通夜・告別式のオードブルやお弁当を作らせてもらいました。
友達にも協力してもらいみんな必死。
熱い人はいつも必死。燃え尽きています。
告別式を終えた後は帰宅し放心状態になったけど、礼を尽くすべき人への
最後を精一杯頑張る事が出来る事は心底ありがたい事なのです。
春はお別れの季節です。
お父さんこの季節はやめてよ~って思っちゃいますが、
誰でもそう、自分の意思じゃ決められないんですよね。
今日も明日もこれからも、山があれば乗り越える、谷があったら立ち止まってみる。
そんな感じで生きて行く。