相対性理論
東西南北天地に向かって感謝する、六方拝(ろっぽうはい)。
を習慣づけています。
心境により良くも悪くも、その時間は貴重で、
特になにか問題が起きた時などに、
内観する際、非常に役にたってくれているように感じ取れます。
その中で南を向いて感謝する一つに、
自分が許せない人たちへ
(自分の人生において悪役をかってでて学びを与えてくれた相手)
感謝するという箇所があります。
大事な役目を担ってくれていた、
自分の人生というドラマに必要不可欠な感謝すべき存在だったという事なのですよね。
嫌だ・ふざけんなって思うけど、
手を合わせ感謝していると本当にそうだと感じさせられるから不思議です。
普段、本音と建前。というものを使わない私でも、
たまに使ってる時があったのかも?と何故かわかりませんがふと思いました。
話したくない人との会話中、話さないとならないような状況
(あまりにもうるさい(聞きたがる)ので、かいつまんで話し黙らせようと思う)
に至った時、
結局、相手の返答からは大きな憤りを感じます。
話さなければよかった・・・。という失敗を
私はこれまで多々繰り返しています。
長女が小学校低学年頃、仕事(お客様商売)で、数時間、
同じ空間から逃れられない状況に、度々遭遇する人がいました。
説教好きの中高年で。若者を諭して充実感を味わうタイプの方。
心が満たされていないであろう方です。
離婚とか、若い年齢の家族の他界は、
それはそれなりに乗り越えるまでには苦痛な時間を費やすものです。
特に子供の死は、
想像を絶する苦痛な感覚があると思います。
アドバイスと称した雑音にでてくるのは大抵、知り合いから聞いた話。
その人なりの低級統計学を語ってきます。
饒舌に語るわりに内容は薄いのです。
あれ?私いま相談したんだっけ?と思いながらも、黙って聞いていると
そちらは根本的に、こちらに対し可哀想という情け心からの視点なので一生懸命、
知り合いの体験談をして止まらなくなっています。
私は基本的に、人の家庭内の話は聞きたくないし、
共通の知り合いだとすると、
その人が真剣に打ち明けた話だとしたら私に話していいの?
と気分が悪くなる。脚色もしているので悪趣味にも感じます。
噂好きな人に共通する良くない点だと思います。
彼女達に共通して言えることは、諭してあげた自負感と共に、
優しい人、物事に柔軟な思考の持ち主、年の功 = 経験豊富で
忍耐強く苦労を乗り越えてきた人生の大先輩!と評価され、
感謝されたいようなのです。
聞いてくれてありがとうございました。
すっきりしました。アドバイスありがとうございました。と言われたいわけです。
でも、一連の流れに違和感しかない私は、時間がある場合は、
「え?それどういうことですか?」と返してみます。
本当この子はまったく~!(やっぱりおばかちゃん)と言い嬉しそうな顔をします。
再度話し始めてすぐ、刀を下ろす様に、
あ~そういう事なら、全く違いますね!と切り出すと、
悲しそうな顔になる。
黙らせるには非常に効果的ですが、
やり返す、という事になるから自分も同じ次元に置くことになります。
ありがとうと言って、心で舌を出せばいいのに!という人もいますが、
私はそういうの出来ません。
また同じネタでその後どう?元気?と繰り返してくるのが面倒でなりません。
前から変わらず元気です。と返すと不思議な表情をし面倒なんです。
その人なりの愛情。 だったのだろうとは現在でも思いたくない抵抗がありますが、
いずれにせよ、やり返すのは良くないな、と
私の言葉が足りてないからこうなるのかなと反省し、
そう思ってからは真摯に聞くように心がけていました。
けれど、
話してあげたい情けに、聞いてあげようとする情けで構えても
そこから良い波動や関係性はやっぱり生まれず、
結局、苦手な人。という解釈におさまります。
この話を書いたのは、過去にあった嫌な事を、恨みつらみとして
書き連ねたかったわけではありません。
上記で、
話さなきゃよかった・・・。という失敗を
私はこれまで多々繰り返しています。
と書きましたが、
日々、新しい出会い、新しい人間関係がうまれる中、
自分の心持ちが悪ければ、自己否定をしていれば、
何度でも同じ目にあうそうです。(同じ目 = 同じような怒りの体験)
同じ人からに限らず、他の人からも思わぬ形で同じような攻撃がおきるそうです。
それは何故かというと、相対性理論(思ったことが外側に映し出される)から、
自分が自分の本心に背いたり、自分をないがしろにし傷つけていると、
他者が攻撃して(傷つけて)、
あなたは今、自分を傷つけていますよ。と教えてくれているのだそうです。(勿論その人は無意識です・性格に難有りなのは事実。その人と出会い・絡む現実という現象)
は?って感じる方もいると思うのですが、
たしかに腹立てる事あると、
「何故」
こんな事されたんだろう?と考えさせられます。
自分の容姿は鏡で見る事ができても、性格や心の中は誰かに教えてもらう以外、
気づかせてもらう以外、知ることができない。
このからくりを知らなかった私は
なんで私、あの人にあんなこと言われなきゃならなかったんだろう。
黙って聞いてりゃいい気になってあの豚。
と常日頃、怒っていました。
同時に自己否定と他者否定がイコールという事も納得できます。
娘の義務教育卒業と共に、会わなくてすむようになるその人と、
街で遭遇することさえもなくなるようにと、ずっと願っていましたが、
まずは自己否定をやめ肯定感を高く持ち、
「自分を大切にする」
常に内観し、自分で自分を責めないようにする。
ヒーラーさんから学ばせてもらった事です。
自分の思考が生んだ現実という現象、そこに登場してくれる役者には感謝なのです。
ただ、自分を非難ばかりしてくる人(常に毒を吐いてる人)の近くに
身を置かない事も大事だと思います。
攻撃を受け続けると心が病みます。
自分が悪いのかな?と自己否定ばかりが増えます。
この文章で救われる人がいたらいいな。と思い書いてみました☆
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