愛のかたち
今日は母の日。
以前リンクしたことがある、片岡ジョージさんのコロナは概念(4コマ漫画)。
うちもこんなレベルの会話が展開されるけど、 もう会話になる前に、無言。という自分になれました。
それは私にしては精一杯の愛情表現です。 聞こえなかった事して「無」を返す。
いつになったら気づくのさ?!と笑うことも、怒ることもしない、 だからと言って呆れない「無」。
酷いと感じる方もいると思います。でも私は愛情だと思っています。
コロナ騒動、これだけ時が経ってもかみ合わないのであれば、 自分からはもう何も言わない。そうすれば荒い波を起こさないですむ。
もう二年が過ぎたけど、こんなにも変わらないんだ。って一時は萎えたけど、 もう。大丈夫。
権威ある人の言葉を鵜呑みにしてしまう事に罪はない。
そんな中でも、自分が自分の感覚を大切に生きていれば、たまに同志と遭遇でき、 感じる事を手短な言葉を使って確認しあう。 それだけでもう十分癒される自分になりました。
親達をどんなに守りたいと思っても、本人達が納得できなければ、 全然守ってあげられない事になる。
不安は様々な病気を作る。
例え安心しながら(真意は別として)病気になっても、 自分の内側(意思)よりも外側と歩幅を合わせ安心出来るのであれば、
年だから仕方ない、癌は二人に一人の時代だからしかたない、という感覚で 腑に落とすのだと思います。
悲しいけど本人にとってそうして受け止める事も一つの幸福な人生の流れなのですよね。だから、私はまず自分の為に穏やかにいる選択をしています。
日々、様々な波がありますが、それは自分の心の投影。
まだまだ穏やかになり切れていない証だと捉え、 瞑想や自然と戯れる時間を増やし呼吸に注意して過ごしています。
母を選んで生まれてきたし、母(義母)と暮らすと選んできた。 そこに沢山の学びや喜びがあるから選択しました。
そして無駄に留まらず納得したら卒業。
10代の頃、よく空を飛ぶ夢をみました。
屋根の瓦に顔面が当たりそうになったり、 家の前の森の木にぶつかりそうになったりしながらも飛ぶ夢です。
物理的に生きてる間に飛ぶことはできないと思うけど、 あの感覚を心にもって生きる事を楽しもうと思っています。
一人一人、心の中にある愛を大切に、生んでくれた、育ててくれた母親に感謝できる今でありますよう。