ギフト
先月の長女の体育祭の日、高校時代の友達と久しぶりに会う事ができました。
お互いの娘が同じクラスなのですが、
友達は都合により学校にほとんど来られないので、
入学式の日、名簿を見て同級生だった事を知った時から、
学校での再会を楽しみにしていたけどこれまで一度も会える機会がなかったのです。
友達は三人の子供がいて、この日は末っ子の最後の体育祭だからと、
パワー使ってお母さんと一緒に見に来ました。
私は、そのお母さんと会ったのは約30年ぶりで、
色々と心配をかけた当時を思い出すと、お久しぶりです。と同時に
頭を深々と下げ苦笑をしてしまいました。
でもお母さんが、久しぶりね!!と笑顔で話してくれ、
いつもにっこり笑ってた、まりちゃんだよね?!と言ってくれて、
気持ちがほっとし、救われました・・・!
画像は、友達が自分のイニシャルと間違えて購入したマグカップです。
NとMを間違えたそうで、良かったら使って!とプレゼントしてくれました♪
娘達が中学に入学してから、毎日のようにLINEしているのですが、
ほんの数分だったけど、顔を見て会話する事が出来て嬉しかったです☆
時々やってくる「縁」によって与えられる、繋がりのタイミング。
いや、繋がった時に感じさせられる「縁」かな?
親友と海を眺めた時と同じ、時の経過がふっとび一瞬でトリップします。
色々な「時」が鮮やかに蘇り、つい微笑んだり、爆笑したりします。
それは昨日の事であれ、何年か前でも、たとえ何十年前の事であっても、
感覚がその時と同じような状態になります。
それを「はや何年経つのか」と勝手に括り、思い出という束にしている自分。
思い出と表現してはいるけれど、時空は全て「今」の繰り返し。
肉体には寿命があるから、人生(括られた期間)と捉え、そう表現するのだろうけど!
魂はず~っと繋がってる☆
あ!今わかった!
私が他界した夫との事を、当時と同じ様に自分とセット化される事への違和感と憤り
はこれだったんだ!!
家族は生活の様々な事が変わってしまった日々をひたすら克服する。
周りはそれを元に戻すような言動が色濃くなる。
やっと家族が変化に適応した頃、
思い出に脚色を加え語られる事に違和感を感じ、
なんでもいいけど、私は今日も生きている!!と何度も心で叫んでいました。
他界した人をしのぶ気持ち、家族と家族外の間で生じる温度差。
それを客観視する冷静な自分に孤独感があったけど、
そこに腹を立てていたんだろうけど、結局全ては感謝すべき流れだったのですね。
ああ、今日も気づきをありがとうございます!!!
マグカップと共に彼女の存在に感謝です☆
なんだかいつも以上に文章にまとまりがないですが(汗)
気づきは最高のギフトです! 今日も愛ある一日を過ごします!
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