ポジティブなエネルギー
甥の農家のレンコン掘りは、スタートからはやふた月になります。
8月は色々失敗をし迷惑をかけてしまったけど、
誠意を持って労働しているので失敗は減り、毎日があっという間に過ぎ去ります。
これって本当だな~って思います。
実家母親の準備してくれる昼食を毎日ありがたく食しています。
久しぶりの川エビの天ぷらに喜ばせてもらったり、
はい餃子一人10個ですと言われ、無理と言いながら8個食べてしまったり、
帰宅して数分で姉が作ったサンドイッチやカレーそうめん
急いで切ったからきゅうりが厚いけどこの方がうまい!と等と会話し、
甥と姉と三人で食す昼食時間。
まるで実家で暮らしているような日々を過ごしています。
私は主に嫌な事の場合なのですが、起きていながら目の前で、
予知夢?の様な、起きているんだから予知夢とは言わないのでしょうが
そういう感覚になる事があります。
随分昔ですが、この食卓にて、
ああもう二度とないこのメンバーでのこの光景。
残念だけど最初で最後になってしまうんだな。と不意に感じた事がありました。
その後、その一人が他界し、やっぱりあの時が最後になってしまった。と
冷静に思う自分と、何故そんな冷静に悟ったような物言い?・・・。
とびっくりする自分がいました。
あの不思議な感覚はこの事だったんだ。 そんな風に思うのです。
(勿論、祖父母など自分達よりは死期の近い人の話ではありません)
まだその予知夢を見ていないからこの光景にはほっとしています。
スピリチュアル否定の方にはどうでも良い話だとは思いますが、
私の後ろには父方の祖父がよく同行している(守護ではなく)そうです。
ある時ある方に不意に聞きました。
15人もいる孫の中でなぜ外孫の私?会話もほとんどした事ないのに。
でも死んだ時からずっといるとか(笑)何してんだよ織ちゃん(織之助)って
聞いたら、孫の中で一番自分の性格に似ているからという理由でした。
え~???どこが?とびっくりして聞いたら、
大した事もしてないくせに偉そうなところがそっくりだと。
(小馬鹿にした口調で平気でそういう事を言うタイプの人だったのは大人達から
聞いて知っていました)
は~~??なんだこのじじい!って思わず言ってしまいましたが、
護る為についてるんじゃなくて、私のあほぶりを見て同行して一緒に楽しんでる
のかな?って気がしたのでまあいいかって思いました。
織之助は手伝いこそしなかったけど、
レンコン農家をはじめた叔父の父親です。叔父が長男、私の父親が三男。
ハス販売に関しては以前から、確かに
織ちゃんが色々導いてくれてるのかな?と過ぎった事もありました。
そして、あっという間に死ぬからもっと恋愛をしろ!と言われました。
俺はちゃんと女を楽しまなかった。だからお前はもっと自由になれ。と。
うるさい~な~(笑)って笑いました。
生前、孫たちの前では口数が少なく飄々とした態度の人でした。
ちなみに私の次女の顔は織之助によく似ています。
まあ、私は嫌なことがあっても何事バカみたいに笑って蹴飛ばす様にしていて、
それが出来るのはそれぞれの祖父(とてもふざけている)から受け継がれた
私の特権だと思っています。
なんにしても、ありがたい食物・食卓のお陰だって痛感中なのです。