自分の存在
お盆が過ぎると夏休みが終わってしまう・・・。と寂しい気持ちに襲われます。
子供達は私よりももっと強く思っているはずなので後半に沢山予定を作っています。
今年、実家は祖母の新盆なので手伝いに行きました。
今回も女衆で色々な料理を作っていました。(私は助っ人程度です・・・。)
初日、家族の夕食用の餃子作り。
姉が具を作ってくれ、甥のお嫁ちゃんと、うちの長女と三人で包みました。
その時、こうして仲良くしてくれて本当に良い縁(甥が)に結ばれて幸せだな~と感じました。
三日目は祖母の妹が二人来ました。
県外在住なのでなかなか会う機会はなく、子供の頃も挨拶程度でした。
祖母が他界して半年後に産まれた甥の赤ちゃん。
もうちょっとで玄孫を抱けたのに~とあの時は残念な気持ちだったけど、
年取るごとに顔がそっくり(祖母に)になる妹すみちゃんが、
赤ちゃんを抱いてる姿がまるで祖母が抱いているように見えびっくりしました。
色々な親戚に会うと、たったの41年ですが、
自分の小さな歴史を振り返る事ができ、色々と見つめ直す事ができます。
自宅前の道を歩けば子供の頃の様々な事が蘇り、
甥が走って私を抜かして行く後ろ姿を見れば、
やっと歩くようになった幼い頃の甥の後ろ姿が蘇ります。
色々色々繰り返し。
だからといってこの世の中は子孫繁栄が全てじゃない絶対に。
大事なのは自分が生み出す何かを今ここからはじめる事ではないのかと思います。
様々な事に言えるけど、他者の言葉って、信念はおろか目の前の苦痛が落ちる錯覚をおこすような、真実なんかじゃない物がほとんどで、
慰めや同情の大多数が、
「人の不幸は蜜の味」をひた隠しに語るから面と言葉が噛み合ってない。
低次元なナルシストのいたずらに惑わされちゃダメ!!
自分を本当に応援し、
守ってくれてる人はきっといつも切り替える機会を教えてくれているように思います。
自分という歴史はどれくらいの長さがあるのかわからないので、
頭に描けた物はすぐにチャレンジするようにしています。
時が来ないと かみ合わないことも確かにあるけど、起こしてみたら、
違っている場合もあるから、やっぱり行動あるのみ!と思います。
なんだか今日もエネルギッシュに語ってしまう。(汗)