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深いところで

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3/24(土)父(義父)の誕生日。
3/25(日)その ↑ 息子(最初の夫)の命日。

たまたまそのふた晩共、夕食時間に子供達はいなく、
両親(義理)と私の三人で食事をしました。


私はたまに、「は?! なにこれ(この状況)」
自分の置かれた状況にはっとする時があります。


その昔、ここはちょっと変わった家庭環境(私から見ると)だったので、
この三人で過ごす時間は、ちょっと言葉では例えようのない
複雑な時間を思い出させるものがあります。

勿論、長女が生まれ、今年の夏が来れば14年も経つこの期間、
三人で過ごした時は多々あります。

でも何故かふとこの二日間の夕食時、
なにかこうあらためて感じるものがありました。


昨年から、イベント営業日のみブログリンクで投稿していたFACE BOOK。

なので普段開くことはほぼないのですが、25 日
何故かふと開いて見たら即、知り合いが他界し通夜である事を知りました。

その方23才、私19才の時、
当時、うちで営業していた古着屋で、うちのバイヤーをしてくれてた方の友人で、
仕事を手伝ってくれた時期がある間柄です。

大道芸人だったその方はその後、フランスに渡り、
アメリカに行っても会えなくなりましたが、
何年か後に、たまたま深夜に探し物をし、灯り代わりにテレビをつけたら
出ていて(情熱大陸の様な番組)、びっくりした事があります。


出会った当時、私と上記のお二人含め5人で、朝から晩まで共に
過ごした事が自然と思い出されますが、
今ではそのうちの3名が、亡くなってしまいました。

時の経過と共になんだか、ふんわりとした思い出になって行きます。


肉体のとれたばかりの魂がどんな状態にあるのかは、
人それぞれ、思い思いの想像で美しくも、悲惨にも作り出されてしまうけど、

出会いと別れを繰り返すのは、皆に平等な事なのだから、
私はただ、ありがたく手を合せたいと思います。


そしてなんかこう上手く言えませんが、「は?!なにこれ(この状況)」
と感じる時、その瞬間の自分の心を大切にしたいと思いました。

それが、なにか。とは言葉にはできないのですが、そう感じました。


私と母(義母)は共に過ごしてはや25年が経過します。
あと数年経てば他界した一人息子との時間を越えるのです。

気が付けば、長女と私は夫(最初の)と過ごした時間を二年も超えていた。

人の縁は、深かろうと浅かろうとほんと~うに色々な事を学ばせてもらえます。

普段、人間関係の中で起こる、このバカ野郎!!!と湧き上がる憎しみなんかも、
学びの為に起こってくれているのですよね。


14年前の今日(葬儀の日)、
「まりちゃんお葬式にドクロ書いてあるスニーカー履いてるよ。」って苦笑していた
彼らがもうこの世にいない事は不思議ですが、
涙するような事ではなく、その記憶や出会いに笑顔が浮かぶ心である自分に、
感謝することができました。時の経過は本当にありがたいものです。

※妊婦なので葬儀にスニーカー(黒いスニーカーがそれしかなかった)(笑)

とは言え、ご遺族の皆様は心打ちひしがれる思いをされていると思います。

ただ、人は姿はなくても日々色々な意思を送ってくれているという事を、
キャッチ出来る感覚になれるよう、心底願います。

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